家族で守る地域の車の安全基地「関宮base」

2019/07/23

父・母・息子・お嫁さん。家族全員整備士資格取得!

但馬の大動脈、国道9号線。ひっきりなしに車が行き交う関宮の国道沿いに(有)浜田モータースさんはあります。店舗横の駐車場にはタイヤではなくキャタピラーを履いた、とても目を引く車がありました。これはどこを走るのか…??謎を抱えたまま店舗にお邪魔します。

最初にお話しを伺ったのは社長の息子さんの直樹さんと社長の奥さま房子さん。明るく軽快なトークを繰り出す房子さんと、同じくとても明るく笑顔が印象的な直樹さん。

「直樹さんはやっぱり、小さいころから車に興味はあったんですか?」の問いには「ん~どうなんでしょう?そうでもなかったような気もしますよ。(笑)でも高校進学のタイミングでたまたま新聞広告で整備を学べる学科がある高校を見つけて。」

房子さんは「私らも別に継いで欲しいとは言わなかったですけど、やっぱり長男で家業やってたら、周りもそういう目でみるでしょ?無言のプレッシャーと言うか(笑)やっぱり自然の流れですよ」と笑います。

浜田モータースの始まりは昭和38年、先代が自宅で始めた自転車屋さん。そのうち単車を扱うようになり、国道9号線が開通するのを機に現在の場所に移転。関宮で最初の自動車屋さんだったそうです。そして平成10年に先代と現社長の義人さんが代替わりした際に法人化し、自動車販売・整備工場として業務を展開してきました。

義人社長も家業を継ぐことは自然な流れだったようで、高校から自動車科がある高校に進み、卒業後は3年間ディーラーへ勤務したのち帰郷されたそうです。ディーラー勤務時は高度成長期でとても忙しく、尼崎の支店から3ヶ月横浜の製造ラインの応援に駆け付けたこともあったそう。

帰郷してからは先代と先代の弟さん、義人社長と従業員さんで整備のお仕事をスタートし、24歳で前の職場で知り合った房子さんと御結婚されたそうです。

ディーラー勤務時代は営業事務をしていた房子さんも浜田モータースで働きながら整備士資格を取得されました。

「当時はツナギ着て工場でタイヤ変えたりしてましたね。30数年前やけど(笑)」

そして時は流れ、2018年。ついに若奥様の佳奈子さんも整備士資格を取得!

佳奈子さんは元々栄養士さん。全くの畑違いな整備士への道は大変な苦労があったことと思い、実際に経験されたお話を伺いました。

佳奈子さんの第一声は「苦労しましたよ~!(笑)」から始まりました(笑)

「周りは20代の若い男の子ばかりで女性は一人きり。毎週1回半年間、座学と実技を学びに鳥取まで通いました。座学や実技も国家試験までに何度か試験もありましたね。実務経験は浜田モータースで学びながら整備の実技も仕事の合間に教えてもらいつつ知識を習得しました。エンジンをバラしてから組み立てるとか、工具の使い方とか覚える事ばかりですよ(笑)年2回整備士国家資格の試験があるんですが、絶対一回で受かってやる~!!って猛勉強の日々でした。」

結果は無事に1回目で合格!しかもその時受験した大勢の若者の中で合格したのが佳奈子さんともう一人だけ!狭き門を突破し晴れて整備士の資格を取得されました(*^^)v

自社で最後まで車検が通せる!認証工場から指定工場へ。

以前は認証工場で車検を通すときは最後に陸運局へ検査に出していたのを、直樹さんが自動車検査員の資格を取得し、整備士資格保有者数も確保できたことで指定自動車整備工場へ認定され、自社で最後まで車検を通すことが可能になり業務の効率化をはかれるようになったそうです。

「勉強も試験もホント、大変でしたけど絶対一回で受かってみせる!って今までにない勉強しましたよ(笑)整備士と違って計算とか法令がメインになので頭使う勉強ばっかりでした」

直樹さんの言葉調子から仕事をしながらの資格取得がいかに大変だったかを感じさせられます。またその後の毎年の講習もきっちり受けて万全の態勢で工場を切り盛りしています。

他にも自動車保険など各種損害保険代理店もされていて房子さんと佳奈子さんで担当しています。こんなに明るくてお話しの楽しい保険担当さんだと色々相談もしやすいだろうなぁ~と感じました。

また、ロードサービスも自動車保険会社と提携していて、遠くは宍粟市や鳥取の県境まで行くこともあるそう。

「年末年始の雪道でスリップしたような大変な現場に駆け付けたりすることもあって大変なことも多いですよ。そんな大変な現場に行った際も『ありがとうございます!助かりました!』の言葉をもらえた時は『頑張って行って良かった』と思いますね」

ユニック付の積載車も配備しどんな状況下でも対応できるように設備の充実を図られています。

ノースウエスト製特殊車両地区指定工場&特約店

浜田モータースがある関宮にはハチ高原スキー場がありますが、その特徴として夏季は道路の部分も冬季はゲレンデになっているため除雪が入らず、スキー場の駐車場からロッジまで雪上車にお客さんを乗せて運ぶ必要があります。駐車場にあった雪上車のメンテナンスも積雪の多い関宮という土地柄とても重要な業務になっています。

この特殊車両は長野県の株式会社ノースウエストさんが制作する特殊車両で、浜田モータースは地区指定工場としてメンテナンス、整備を担当しています。

雪が降る前にタイヤを雪上仕様に変えて高原に運び雪上車として使用し、シーズンが終わると通常のタイヤに付け替えて普通の車として乗れるようにするといった整備もされるそうです。

この地区指定工場になったのは高原に営業に来ていたノースウエストの社長さんが浜田モータースに飛び込みで訪ねてこられ協力を持ちかけた事から始まったとのこと。

「冬前になると点検でここの駐車場に何台か雪上車が並ぶんですよね。そしたら珍しいのか『写真取らしてください!』って来られる人もいますよ。」

房子さんが嬉しそうに話してくれます。

また、ノースウエスト社製作の海や山、雪の上など平坦ではない場所で活躍する『不整地車いす』の販売代理店もされていて、

「これ、面白いでしょ!お年寄りや障がいのある方がどんな場所でも自由に移動できればいいですよね」

直樹さんもワクワク顔でこれからの販売先や活用シーンを模索中です。

地域の生活を守る「みんなの自動車屋さん」

「最近の若い子は車に興味がないし、乗れれば何でもいいという感じが多いから…。かっこいいスポーツカーなんかは何百万もするしねぇ。」

義人さんは寂しそうにつぶやきます。直樹さんも

「そもそも若い人が都会に出ていってしまっていないから」

しかし、この取材時にも20代の若いお客さんが来られて、直樹さんと和気あいあいとしたやり取りをされる姿を見ると、お客さんの大切な愛車を一緒に可愛がるというみんなが家族のような温かい雰囲気を感じられました。

車離れや整備士不足など言われる現在の自動車業界において、養父市ではまだまだ車は生活に欠かせないもので、冬の高原にも無くてはならないものです。

初代と2代目義人社長が築いてきた地域とのつながりと確かな整備技術に新しい事業提携。

浜田モータースはこれからも家族一丸となって地域の安全を守る重要な基地「関宮base」となってくれそうです。