創業100年を目指す 但馬バネ産業界のパイオニア

2019/03/29

はさまじ峠を和田山方面に下った養父市堀畑。
9号線沿いある「株式会社サンハツ鋼業」は1929年に創業した様々なバネを製造する会社。
「バネ」と聞いて浮かぶのは針金がグルグル~のイメージですが、実際どのような製品を手掛けているのかお伺いしました。

車から降りるとリズミカルな金属音が聞こえてきます。お話しを伺ったのは杢保(もくぼ)社長(左側)と久保田専務(右側)。

創業90年ということですが、杢保社長は何代目ですか?

私で3代目になります。先々代が大阪で創業して軍事疎開した先がこの場所でした。もともと先々代はバネの材料をバネ屋さんに卸す仕事をしていたのですが、材料の価格と加工後のバネの価格を知って「バネ屋もうかる!」と思って始めたようです。

昔から養父市や朝来市にはバネ屋さんが多いですが、軍事疎開してきたバネ屋から独立された方も多くおられると先代から聞いています。

但馬にバネ製造の技術を根付かせたということですね!

うちから独立されたかたは聞いたことがないですよ。うちは細々続けてきただけなんでと謙遜しながら杢保社長は笑います。

手がける製品としては「圧縮バネ(押しバネ)」「引張バネ(引きバネ)」「ねじりバネ(キックバネ)」「板バネ」などの各種バネや金属線加工や板状の金属のプレス加工もおこなっています。

使われている場所は農機具や車のシート、家電、家具など様々なものの見えないところに入っている事がほとんどで直に目にすることは少ないですが、それぞれ伸びる力、戻る力など特性を活かして組み込まれているバネ。見えないところで日々伸び縮みして私たちの生活を快適にするバネに感謝です。

幅広い要望に対応可能な技術力。

会社の強みはありますか?

バネ屋さんは扱う線材の太さで大まかに4区切りに分かれます。

太さによって工法や設備が違ってくるので、極細専門、極太専門など1区切りのみ対応する会社がほとんどですが、うちではそのうちの細~太あたりまで2区切り程度の加工が可能です。特に線経8㎜~13㎜位の押しバネ、引きバネが得意分野ですね。

聞けば聞くほど奥深きバネの世界。

他にも試作品など1個から製造していて、小ロット多品種の製造対応が可能。1000個以上じゃないと生産できないという会社が多い中、近畿圏内をみてもここまでできる会社は少なくなってきているそうです

こんなバネが作りたいけどできますか?と言われたときに「できません」を簡単に言わず、可能性を探し実現させる。そしてその成果の裏には昔から伝承された確かな技術があること、その技術力の高さを感じます。

また、バネ屋さんはご夫婦だけで営まれるような個人事業者が多く、設備や人員面などで対応が限られ、時代の流れで廃業されることも増えているそう。そのような技術継承も重要な課題となっている中でも若い職人さんを育てていくといった常に先を見据えた人財育成も重要視されています。

従業員さんに聞いてみた。

この道23年の田原工場長。この時は引きバネの両端を、手作業で細く加工されているところに「やりがいは何でしょう?」と直撃インタビュー。

「ワシみたいなおっちゃんやなくて、もっと男前に話聞かな~」と言いながら笑顔で答えてくれます。

「この仕事は流れ作業で同じことするんやなくて、自分の手で毎日違う物を作っていく面白さがあるよ。」

確かにここにあるバネは大きさも形も様々。自分の技術を直に込めていく手仕事ならではのやりがいがありそうです。ちなみに得意な作業はありますか?

「得意を作らんほうがええんよ。不得意ができるから。その方がなんでもできるようになるから。」

なんという奥深さ。やはり人生の先輩のお言葉は染み入ります。

次の方は

松本課長さんと3年目の石丸さん

前職がオートメーションのバネ工場だった松本課長に違いをお伺いするとオートメーションは機械にセットしてボタン押すだけ。ここでは図面が来たらそれに合わせて加工治具から自作する。言ってみれば正解がなくて自由がある。自分で考えた手法がガチっと寸法通り来た時の達成感があるという。

お二人は師匠と弟子ですか?

松:専務に教えてもらった技術を次に石丸に教えていくのは自分やと思ってる。でもたまに「これどうしよ?」って聞くときもあるよ。(笑)

石:僕もたまに「こうじゃないですか?」って言いますよ。(笑)

笑顔で語る二人に職人気質でメリハリのある中にも仲の良さが見えてきました。

明るくポジティブに100年企業を目指す。

インタビュー時の杢保社長はとても明るくユーモアたっぷりですが、実は家業を継がれてから波乱万丈の連続でした。

28歳で帰郷し現場で3年間バネ作りを学んだ後、そろそろ経理の勉強をしようとした矢先、担当の前専務が倒れ、引き継ぎなしの状態から経理業務をせざるを得ない状況に。突然のことで周囲の助けを借りながらなんとかゼロの状態から専務業務をこなされたとのこと。

その後3年経理を行った後、前社長から「ワシが70歳、会社が90周年のタイミングで事業承継しようと思う」と告げら2年後に向けて準備しようとした翌年、前社長が急逝。予定より1年前倒しで社長に就任しないといけなくなったそうです。

前社長が亡くなってからの半年は本当に無茶苦茶大変でした。ストレスで肋間神経痛にもなりましたしね。

そんな想定外が立て続けに起こった状況下でも従業員や周囲の人に恵まれ、助けられて会社を守っていかれたとのこと。聞けば聞くほど波乱万丈の人生を乗り越えてきた強さとこの明るさ、ポジティブさはどこから来るのか?

この数年のうちにいろいろな事が起こりすぎて少々の事では動じないようになってきました。今の時代何があるか分からないから万が一のことが起きた時、常に最低限会社が回るように準備はしています。

こないだも「こんなことある?!」っていう事件があって。

協力会社に発注していた製品が今日届くはずなのに届かない。運送会社に問い合わせたら輸送中に車が炎上して製品も燃えたって(笑)

そんなときにも「あ~、事件ばっかり起きて毎日楽しいわ~!明日はどんな事件があるか楽しみや~!」とポジティブな言葉を声に出して言う。

マイナスをプラス思考に変え、笑い飛ばす社長と専務に従業員に求める人材像はあるか聞くと

考えが前向きでポジティブな人かな?明るい人でやらずに後悔するよりやって後悔するタイプ。しりもちは後退するけど倒れても前のめりに倒れたらその分前に進むでしょ?

なんという前向きな熱い想い。どっしり心に響きました。

杢保社長はビジョンや想いを伝え、その想いに賛同した若い力の採用を実現し、帰郷した時に感じた危機感と改善点を徐々に解消しています。先代、先々代が従業員と共に90年守り続けてきた会社を100年、さらにその先へ続く企業にするために。サンハツ鋼業はこれからも前向きに進み、職人たちの技を継承し但馬のバネ業界をリードしていきます。